恐るべし「員数主義」
積読していた1冊。
やはり積読には意味がある。
「レイテ戦記」を再び中断して、読み始める。
山本七平も召集され、印島(フィリピン)に出征、捕虜になる。
大岡昇平の「俘虜記」も、この「一下級将校~」にも、この後読んだ「虜人日記」にも通底しているのが、職業軍人への違和感、そして一部への嫌悪感だ。
これは一時の高級官僚の不祥事とその体質への嫌悪感にも近いかもしれない。
でも失われた(そして失い続けている)20年を経て、高級官僚もいまはすっかりその社会的地位を凋落させ、むしろ庶民からの厳しい目線に汲々としているように思う。
バブル崩壊はある意味「敗戦」だったということであろうか。
そう考えると、いけいけどんどんで「大国日本」と思い込み、戦線を拡大していった日中戦争~太平洋戦争~敗戦、というのは、まさにバブルに踊った日本人に重なるではないか。
こんな比較はもういろんな人がしているようにも思うが。
さて、「一下級将校~」で印象に残ったのが「員数主義」。
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(引用)
問題は、検査そのものより、検査の内容と意味づけにあった。すなわち「数さえ合えばそれでよい」が基本態度であって、その内実は全く問わないという形式主義。それが員数主義の基本なのである。
それは当然に、「員数が合わなければ処罰」から「員数さえ合っていれば不問」へと進む。従って「員数を合わす」ためには何でもやる。
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たとえば、私的制裁の撲滅が厳命されたころ。
中隊長は毎朝のように「私的制裁を受けたものは手をあげろ」と命ずる。
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(引用)
だが昨晩の点呼時に、整列ビンタ、上靴ビンタにはじまるあらゆるリンチを受けたものたちが、だれ一人して手をあげない。あげたら、どんな運命が自分を待っているか知っている。従って、「手をあげろ」という命令に「挙手なし」という員数報告があったに等しく、そこで「私的制裁はない」ことになる。このような状態だから、終戦まで私的制裁の存在すら知らなかった高級将校がいても不思議ではない。
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現代の組織にも、当てはまりまくるんですど!!!!
うちの会社!!!うちの会社のこと???!!!
思えば軍隊とは、究極のブラック企業なんだろう。
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(引用)
いわば、命令と報告の辻褄はこれで合っている。
そして合っていれば、それでよい。これが員数主義であり、この主義は、前述のように、全帝国陸軍を上から下までむしばみつくしていたのである。
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つまり数字だけ辻褄を合わせること。
しかも、更にたちが悪いのは、それが虚構の世界の上で、だったことだ。
そもそも数字すら、合っていない。「合っていること」にすること。
これって、弱い人間のすることじゃないですか?
己の現実を見つめず、都合よく周囲の状況を解釈する。
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(引用)
日本軍は米軍に敗れたのではない。
米軍という現実の打撃にこの虚構を吹きとばされて降伏したのである。
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(引用)
米軍の攻撃は、常に員数という虚構を吹きとばして「実体としてはなにもない」ことを指摘しつづけただけに等しい。
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おのれをわきまえて生きよ。