大岡昇平を読む
「俘虜記」
「野火」
「ミンドロ島ふたたび」
「戦争における『人殺し』の心理学」(デーブ・グロスマン)
この夏は大岡昇平をよく読んだ。今も「レイテ戦記」にとりかかっている。
多くは、かつて買って「積読」していた作品。
積読は意味がある、という説を何かで読んだが、確かにあるのかも。
レイテ戦記が本棚にずっとあるのは分かっていたけど、読もうという意欲を失っていた。本が読むタイミングを待っていてくれた、ということだろうか。
読書の面白さのひとつが、ちょっとしたきっかけである分野や作家に興味を持ち、一気に何冊も読むこと。
今回は、たまたまCSで映画「野火」を見て、積読してあった大岡作品を読もうと思った。
そしてその流れで、「戦争における~」を読んだ。レイテ戦記を読むのは時間がかかるのと、「野火」を読んだ流れで読みたいと思ったから。
そしていよいよレイテ戦記(上巻)を読んでいたら、戦艦武蔵についてもっと知りたくなり、吉村作品を読んだ。
それが読み終わり、さあ再びレイテ戦記へ、というのが今。
こういう風に、なにかうまく転がるように読書が進むのは本当に楽しい時間だ。
(楽しい内容の分野ではないが)
武蔵が沈み、日本が負けることがあまりにも必然で、すべてが虚しい思いに包まれる。
これらの作品を読んでなお、戦争もやむをえないと思う人は、自分は絶対に戦場に行かなくていい特権的な地位にいて、さらに他者がどんなに悲惨な状況に置かれても胸が痛まない人だろう。
兵士の声を聞かねばならない。
傷つき、死んでいった兵士の声を。